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花鳥諷詠心得帖19 二、ことばの約束 -11- 「漢字(歴史)」

前回「漢字」について、略字・正字を中心に書いてみたが、よく考えてみると「漢字」とは

本来「漢語」を表記するために中国で考案されたものだ。
それが日本に輸入された。そ
こで今回はそのあたりの歴史のおさらい。

ところでこの列島にいつから人が住んで、その人々がどんな暮らしをしていたのか。
またそれらの人々はそのまま列島に住んで我々の祖先となったのか、
あるいはそれらの人々はとっくに何処かへ移り住んで行ってしまったのか、
あるいは誰か次にやってきた人々に抹殺されてしまったのか、皆目見当がつかない。
日本史や考古学の研究者達には判っているのかも知れないが、俳人である筆者などは
まだその知識の恩恵には与っていない。

漠然と考えられるのは、現在北海道に住んでいるアイヌの人たちがもっと広く北日本に展開していた
らしいこと。
また西日本にも所謂「縄文人」と呼ばれる人々が古くから住まっていたに違いないことだ。
そこへある時期、およそ二千年前のことであろうか「稲作文化」を携えた人々が
おそらく揚子江下流域から海路を辿って列島に移り住みはじめ、その後朝鮮半島を経由した人々が
さらに進んだ文化を持って列島に登場したのであったろう。

これらの人々を「渡来人」とも言うわけだ。
この圧倒的に高い文化を誇る渡来系の人々が漸次列島の主役として君臨していったに違いないことは、
天孫系の日本の神話が著しく半島の神話に類似していることからも想像出る。
馬や金属器やさまざまの渡来品の中に中国語ならびにそれを表す「漢字」も含まれていたのであろう。
但し気を付けなければならない事は、この渡来人の渡来が実は甚だ長期間にわたって、
波状的に行われたために、何時来た誰が何をもたらしたか判然としなくなってしまったことだ。
このあたり専門の研究者なら判然しているのかもしれないが、素人の悲しさで、想像で物を言うしかない。

文字である「漢字」は国家の経営上甚だ便利なものであった。
例えば、税の取り立てから輸送から「文字」によって確実に記録される。
一時が万事、中華文明の精華である「漢字」は日本の国家経営の屋台骨となっていった。
現今の日本で例えてみるなら、日本語を表す文字が無い状態の処に
英語と英語を書き記すアルファベットがやって来たと考えればいい。
さまざまの帳票類を記録するには、まるまる英語を利用してアルファベットで書けば「手っ取り早い」。

日常語は日本語、官庁はじめ公式な場面では「英語」を使用し「英語」で記録する。
実はこうした国家は現在の地球上にだっていくらもある。
「漢字」は我々日本人が初めて出会った文字であり、文字だけを利用出来たわけでは無く、
漢語がまず日本の社会の中心部分を形成してくれた訳だ。
従って「漢字」の日本語に与えた影響は根が深い。 (つづく)

花鳥諷詠心得帖18 二、ことばの約束 -10- 「漢字(正字、略字、うそ字)」

戦後の国語政策が「現代仮名遣い」と「当用漢字」の制定を基軸として展開されたことは既に触れた。そこで今回からは「漢字」のお話。

ところで「漢字」は一体幾つあるのか。正確な数は不明ながら(数え方によって異なるという意味で)史上最大級の漢字辞典として有名な二十世紀日本の諸橋轍次『大漢和辞典』で四九九六四字、十八世紀中国の『康煕字典』は四七〇三五字である。

ただしこれらの中には我々が生涯使用しないであろう漢字も多く、約五万字はどこまでも「最大」での話だ。

一方我々に身近な『大字典』クラスになると凡そ一万から一万五千字を収録しており、俳句を詠む・読む上ではこの程度でも何とかなる、と私は考えている。

ところで我々俳人にとって一つの大きな問題は「正字・略字」の問題かも知れない。世に言う「旧字・新字」だ。

正字とは「學」「藝」の類。「康煕字典体」とも呼ばれる。

「略字」とは「学」「芸」の類の字体。この略字体は現在「常用漢字字体表」に登録されている分については正式に認められている。つまり「学」にしろ「芸」にしろ「常用漢字」に含まれているので略字体が通行しても「お咎めなし」なわけだ。

ところが例えば「籠」(かご)は「常用漢字」(一九四五個)に含まれていないので「正字」のみがあって「略字」は無い。世間で通用している「篭」(かご)は、厳密に言えば「うそ字」ということになる。「タケカンムリ」をそのまま置いて、「龍」を、その略字「竜」に置き換えただけのものだ。因みに「竜」は常用漢字に含まれているので、それ自体は「許され」ているのだ。

似た例では「滝」・「蛍」。これらは共に常用漢字なので「瀧」「螢」でなくても良い。ただし俳句の中に使用する場合「瀧」「螢」も表現としては捨てがたく、結果として「新旧」不統一のきっかけになりかねない。

「龍」の字に関連して「朧」は当然常用漢字に入っていないので略字は無い筈なのに、虚子先生の句碑に「月竜」(註:にくづきに竜)の字が登場する。

「犬吠の今宵の朧待つとせん 虚子」
昭和十四年作、昭和二十七年建立のものだが、何故か揮毫されたものは「月竜」であった。

わが「惜春」は常用漢字については略字、それ以外については正字で表記されている。例えば投句用紙に「齢」(よわい)と書いても、雑詠欄では正字で書かれているし「虫青(註:むしへんに青)蛉」と書いても「蜻蛉」と正しく直されている筈だ。

ここで厄介なのは「JIS」(日本工業規格)。

例えば魚のサバは常用漢字でないので正字で書くべきだが、ワープロで書くと「JIS」規格によって「鯖」と平気で「うそ字」が打たれてしまう。読めれば良いような気もするし、それでは「漢字」文化が守れないようにも思う。

次回も漢字の続き。

花鳥諷詠心得帖17 二、ことばの約束 -9- 「仮名遣いの話(拗音や促音)」

前回の末尾に「現代仮名遣い」の「注意」を掲げたが、今回はその解説。と言っても、話は一つ。

つまり拗音や促音を表記する場合の「小文字」の件である。

現代仮名遣いでは、「きゃ」「きゅ」「きょ」「にゃ」「にゅ」「にょ」の類の「ヤ行音」は縦書きの場合右下に
「小さく」書き、「かった」「とった」といった促音を表す「タ行音」も右下に「小さく」書く。

と言うことは翻って考えれば、歴史的仮名遣いに「小文字」は登場しないと言うことだ。
「小文字」という概念がそもそも無かった。
無くても痛痒を感じなかったものを、五十数年間無理強いしたお陰で「無いと変」と思うように
慣らされてしまったようだ。

実際「夏潮」に俳句を投じて来られる誌友諸兄姉の中にも一句を「歴史的仮名遣ひ」で表記しながら、
この「小文字」ばかりは「現代仮名遣い」に倣っている方も少なくない。
そして実際は作者の意を汲んでいちいち訂正せずに印刷所にまわしている。
結局その方が「紛れ」が少ないから、敢えて承知の上で、そうした処理をしているという訳だ。

さて、「現代仮名遣い」のルールを点検しながら、「歴史的仮名遣ひ」に思いを馳せて来た訳だが
、正書法という観点からは特に「歴史的仮名遣ひ」に不都合があった訳ではないことがお判り頂けたと思う。
「心得帖11」の本欄でも触れたように、「歴史的仮名遣ひ」は江戸時代になって、
奈良時代の発音を推量してそれに合う形で構成した正書法である。

江戸時代すでに「歴史的仮名遣ひ」とは異なる発音になっていたのである。
それを敢えて千年前の発音をその基準に置いた訳だ。
つまり、その根本精神には強烈な伝統重視がある。
常に変化して止まない「言葉」という生き物を、変化した現代で捉えようとすれば、
常にルール変更を余儀なくされる。

「現代仮名遣い」が金科玉条のごとく振りかざす「現代音」などあっという間に変化してしまうものなのに、
それに気がつかない。
そして「その度に」伝統を切り捨てて行くことになる。

戦後の二大国語政策である「現代仮名遣い」と「当用漢字」の制定は、「伝統の切り捨て」という大方針に
沿ったものだ。
実はこうした機運は明治時代初期にもあった。
つまり、かながき運動然り、ローマ字運動然り。
明治時代には日本語廃止案まで飛び出した。
黒船騒動に始まった文明開化の中で慌てて没日本論、欧化論を展開したのだ。
そして今回の敗戦。

同じように一部の人は西洋を目指した。
いや「みじめな日本」を忘れようとした。
とあるフランス文学者の「第二芸術論」などは正にその極みであった。
次回からは暫く漢字のお話。

花鳥諷詠心得帖16 二、ことばの約束 -8- 「仮名遣いの話(長音)」

原則第二類、第二項。エ列長音は、エ列のかなに「え」をつけて書く。  
これはもともとの字音表記もそうだったので問題は少ない。

第三項。オ列長音は「おう」「こう」「そう」「とう」のように、オ列のかなに「う」をつけて書くことを本則とする。
(例)王子→おうじ。扇→おうぎ。買う→かおう。
〔備考〕「多い」「大きい」「氷る」「通る」「遠い」などは「おおい」「おおきい」「こおる」「とおる」「とおい」
と書き「おうい」「おうきい」「こうる」「とうる」「とうい」とは書かない。

前回同様長音の問題になる。
同じオ列長音でも単語によって「う」と書いたり「お」と書いたりするのだ。
種明かしをすれば歴史的仮名遣いで「ほ」「を」と表記していたものは「お」となるのだが、
そんな区別はなかなかつくものではない。

例えば次の短文を仮名書きしてみていただきたい。
王子と狼が大きい氷を雑巾で覆って扇であおぎながら大阪から逢坂山の峠を通って
遠い近江にやって来た。
答は、「おうじとおおかみが、おおきいこおりをぞうきんでおおって、おうぎであおぎながら、
おおさかからおうさかやまのとうげをとおって、とおいおうみにやってきた」

如何だったろう、何の苦も無く出来た方は「現代かなづかい」が完全に身についている方。
筆者は自信が無い。
つまり普段は漢字で書いているから破綻をきたしてないだけで、
そうでなければ「大阪」と「逢坂山」なんて間違えてばかりの筈。

原則第三類。ウ列拗音の長音は「きゅう」「しゅう」「ちゅう「にゅう」のように
ウ列拗音のかなに「う」をつけて書く。
(例)大きう→おおきゅう。給与→きゅうよ。

原則第四類。オ列拗音の長音は「きょう」「しょう」「ちょう」「にょう」のようにオ列拗音のかなに
「う」をつけて書くことを本則とする。
(例)東京→とうきょう。今日→きょう。
〔注意〕 1,「クヮ・カ」「グヮ・ガ」および「ヂ・ジ」「ヅ・ズ」を言い分けている地方にこれを
書き分けてもさしつかえない。
2,拗音をあらわす「や」「ゆ」「よ」は、なるべく右下に小さく書く(縦書きの場
合)
3,促音をあらわす「つ」は、なるべく右下に小さく書く(縦書きの場合)
これら〔注意〕の解説は次回で。 (つづく)

花鳥諷詠心得帖15 二、ことばの約束 -7- 「仮名遣いの話(ハ行点呼音)」

「現代かなづかい」原則第一類、第四項。

ワ、イ、ウ、エ、オに発音される旧かなづかいの「は」、「ひ」、「ふ」、「へ」、「ほ」は
今後「わ」、「い」、「う」、「え」、「お」と書く。
ただし、助詞「は」、「へ」はもとのままに書く事を本則とする。

「川」かは→カワ、「鯛」たひ→タイ、「氷」こほり→コオリ、の類。
所謂「ハ行点呼音」の問題である。

つまり日本語はかなり早い段階(平安時代には既に)から、この問題を抱えており、
永い間知識として、つまり「正書法」としてこの仮名遣いを守って来た。

名詞の場合などは漢字で表記してしまえば、ハ行点呼音という意識すら持たずに、事は済んでしまうが、
例えばハ行の動詞などでは、活用語尾の部分に、その知識が要求される。
例えば、「笑ふ」という動詞の活用は「ワラワ・ズ」、「ワライ・タリ」、「ワラウ。」、「ワラウ・トキ」、「ワラエ・ドモ」、
「ワラエ!」と発音しながら、「笑は・ず」、「笑ひ・たり」、「笑ふ。」、「笑ふ・時」、「笑へ・ども」、「笑へ!」と
表記する。
「新仮名」で育てられてしまった筆者などが、まず初めに「旧仮名」らしい表記に出会うのは、この辺りで、
はなはだ印象的なところだ。

ところが、ここに「落とし穴」が一つ。
それは「笑ひて」という連用形が「ウ音便」をして、「ワロウテ」と発音する場合。
正しくは「笑うて」と「ウ音便」で表記すべきところ、ハ行点呼音の「気分」が頭から離れない為に、
「笑ふて」と表記してしまうことが、ままある。

原則第一類、第五項。
「オ」に発音される旧かなづかいの「ふ」は今後、「お」と書く。
「葵」あふひ→あおい、「煽る」あふる→あおる、
「倒す」たふす→たおす

何回も言うが、漢字で書いている分には、何の問題もなかった部分に、
仮名で書くと難しい問題が潜んでいる。
「あふひ」など戦前のホトトギスで活躍した、本田あふひ女史がおられるから、我々には親しい気分がするが、
そうでないと一寸自信はない。

原則第二類、第一項
「ゆ」の長音は「ゆう」と書く。
「夕方」ゆふがた→ゆうがた
「友人」いうじん→ゆうじん
ただし、「言ふ」は「いう」と書き「ゆう」とは書かない。 

長音の表記は仮名遣いで問題の多い処だ。所謂長音符「ー」は、「タクシー」「スポーツ」といった
カタカナ表記の場合にのみ使用される。
さて実際の俳句作品で長音符「ー」使用の可能性如何に。