March 2732001

 とりわくるときの香もこそ桜餅

                           久保田万太郎

かにも美味しそうだ。「桜餅」の命が味の良さにあるのはもちろんだが、独特な葉の香りにもある。だから「香もこそ」と言い、それが生きている。「とりわけて」いる段階で、もう「桜餅」は命の輝きを放ちはじめている。食べ物の句は、とにかく美味しそうでなければならない。読んだ途端に、読者が食べたくなるようでなければならぬ。同じ作者による別の一句は「葉のぬれてゐるいとしさや桜餅」というものだ。こちらもとても美味しそうであり、郷愁にも誘われる。万太郎は、よほど「桜餅」が好きだったのだろうか。ところで「桜餅」の定義だが、角川版歳時記に「うどん粉を水に溶いて焼いた皮に、餡を入れて巻き、塩漬けの桜の葉で包んだもの。皮には桜色と白とがあり、桜の葉の芳香が快い。文政年間に江戸向島の長命寺境内で山本新六という人が売り出したのが始まりという」とある。桜餅の定義などはじめてちゃんと読んだが、ええっと思った。菓子類には情け無いくらいにうといので、私だけのびっくりなのだろうけれど、この十年ほどに二個か三個か食した桜餅は、どれも皮はうどん粉(小麦粉)ではなくて、もっとすべすべしていたように思う。少なくとも、皮を焼いたものではなかった。蒸した感じ。となれば、私が食べ(させられ)たのは、元祖とは製法が違ったものだったのだろう。新しい講談社の歳時記に載っている「桜餅」の写真でも、皮は焼いてないように見える。この本では片山由美子さんが「小麦粉と白玉粉を溶いて焼いた薄皮」と説明していて、となれば、すべすべしていたのは白玉粉のせいなのかもしれない。元祖よりも、口当たりをよくした現代版というところか。でも、いまでも焼いた皮の「桜餅」があるとしたら、ぜひとも、我慢してでも(笑)食べてみたい。そんなのは「どこにでもある普通のもの」なのだろうか。「味の味」(2001年4月号)所載。(清水哲男)


March 0832002

 桜餅三つ食ひ無頼めきにけり

                           皆川盤水

語は「桜餅」で春。餅を包んだ塩漬けの桜の葉の芳香が楽しい。さて、気になる句だ。桜餅を三つ食べたくらいで、何故「無頼」めいた気持ちになったりするのだろうか。現に虚子には「三つ食へば葉三片や桜餅」があり、センセイすこぶるご機嫌である。無頼などというすさんだ心持ちは、どこにも感じられない。しかし、掲句の作者はいささか無法なことをしでかしたようだと言っているのだから、信じないわけにはいかない。うーむ。そこで両句をつらつら眺めてみるに、共通する言葉は「三つ」である。これをキーに、解けないだろうかと次のように考えてみた。一般にお茶うけとして客に和菓子を出すときには、三つとか五つとか奇数個を添えるのが作法とされる。したがって、作者の前にも三個の桜餅が出されたのだろう。一つ食べたらとても美味だったので、たてつづけに残りの二個もぺろりとたいらげてしまった。おそらく、この「ぺろり」がいけなかったようだ。他の客や主人の皿には、まだ残っている。作者のそれには虚子の場合と同じように、三片(葉を二枚用いる製法もあるから、六片かも)の葉があるだけだ。このときに、残された葉は狼藉の跡である。と、作者には思えたのだろう。だから、美味につられてつつましさを忘れてしまった自分に「無頼」を感じざるを得なかったのだ。女性とは違って、たいていの男は甘党ではない。日頃甘いものを食べる習慣がないので、ゆっくりと味わいながら食べる作法もコツも知らない。しかるがゆえの悲劇(!?)なのではなかろうか。『随處』(1994)所収。(清水哲男)


March 0132003

 桜餅三つ食ひ無頼めきにけり

                           皆川盤水

まりに美味なので、ついたてつづけに「三つ」も食べてしまった。で、いささか無法なことでもしでかしたような、狼藉を働いたような感じが残ったというのだろう。和菓子は、そうパクパクと食べるものではない。食べたって構わないようなものだが、やはりその姿を楽しみ、香りを味わい賞味するところに、他の菓子類とは違う趣がある。「葉の濡れてゐるいとしさや桜餅」(久保田万太郎)という案配に……。しかし、こんなことを正直に白状してしまっている掲句は、逆に「無頼」とは無縁な作者のつつましい人柄を滲ませていて、好もしい。こうした体験は、誰にでも一度や二度はあるのではなかろうか。大事にしていた高級ブランデーを、つい酔いにまかせてガブガブ飲んじゃったときとか、ま、後のいくつかの例は白状しないでおくけれど、誰に何を言われる筋合いはなくても、人はときとして自分で勝手に「無頼」めき、すぐに反省したりする。そこらへんの人情の機微が的確に捉えられていて、飽きない句だ。なお余談ながら、一般的に売られている桜餅は、一枚の桜の葉を折って餅を包んであるが、東京名物・長命寺の桜餅は大きな葉を三枚使い、折らずに餅が包んである。『随處』(1994)所収。(清水哲男)


April 1442006

 いもうとのままに老いたり桜餅

                           平沢陽子

語は「桜餅」で春。塩漬けにした桜の葉の芳香が快い。家族のなかに、姉か兄がいる。だから、「いもうと」。だから、家族のなかではいつもいちばん若かった。何かにつけて、そのことを意識させられることも多かった。それが、どうだろう。若い若いと思って生きているうちに、いつしか「老い」の現実が、若い気分の自分に突きつけられることになっていた。老いが誰にも避けられないことはわかっていても、「いもうとのままに」老いたことに、作者はちょっと不思議な感じを受けたのだ。理屈ではなく、なんとなく理不尽な感じがしている。子供のころから姉か兄かと分けあって食べた「桜餅」を、あらためて懐かしいようなものとして眺めているのだろう。当たり前のことを当たり前に詠んだだけの句だが、じんわりと心に沁みてくる句だ。私ごとで言えば、私は長男だからいつも二人の弟たちよりも年上であったわけで、ずっと年長者意識はつづいてきた。だから、弟たちはいつまでも若いと思ってきたのだが、その弟の一人が還暦を迎えたときには、なんとなく理不尽な感じを受けたものである。これまた、理屈ではない。作者とは立場がまったく逆になっているだけで、受けたショックの質は同じようなものだろう。読めば読むほどに、味わい深い良い句です。しんみり。「詩歌句」(第九号・2006年3月)所載。(清水哲男)


April 0842007

 三つ食へば葉三片や桜餅

                           高浜虚子

月八日、虚子忌です。桜餅という、名前も姿も色も味も、すべてがやわらかなものを詠っています。パックにした桜餅は、最近はよくスーパーのレジの脇においてあります。買い物籠をレジに置いたときに、その姿を見れば、つい手に取ってかごの中に入れたくなります。「葉三片や」というのは、「葉三片」が皿の上に残っているということでしょうか。つまり、葉を食べていないのです。わたしは、桜餅の葉は一緒に食べてしまいます。あんなに柔らかく餅と一体化したものを、わざわざ剥がしたくないのです。もしもこれが三人で食べた句なら、三人が三人とも葉を残したことになりますが、この句ではやはり、一人で三つ食べたと言っているのでしょう。どことなくとぼけた味のある句です。男が桜餅を三つも食べること自体が、ユーモラスに感じられます。ああいうものは、一人にひとつずつ、軽やかに味わうもので、続けざまに口に入れるものではありません。句全体がすなおで、ふんわりしています。個性的で、ぎらぎらしていて、才能をこれみよがしにしたものではありません。虚子からのそれが、ひとつのメッセージなのかもしれません。さらに、これほどに当たり前のことをわざわざ作品にする、俳句の持つ特異性を、考えさせる一句ではあります。『合本 俳句歳時記第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


February 1022009

 たちまちに車内に桜餅匂ふ

                           大島英昭

気に入りの近所の和菓子屋さんでは、立春をもって桜餅が並ぶようになる。桜の季節はまだ先だが、香りから春を思い出し、身体が素直に喜ぶことを実感できる瞬間である。桜の葉のあの独特の芳香は、殺菌効果も伴う「クマリン」という成分だそうだ。クマリンは木に付いているときには発することはなく、落葉となったときから生まれるという。そしてこれは、自樹が落葉する範囲に芽吹きを許さないテリトリー遵守が真の目的だというから驚く。まず花しか咲かないこと、落ちてより香る葉、そして60年ほどの寿命。桜が持つ数々の不思議は、どれも確固たる基準に裏打ちされているように思われる。桜の身内にしか理解できない、唯一の桜となるための美の基準である。謎めいていればいるほど、人間は桜という生きものに惑わされ、魅了されてやまないのだろう。などと満開の桜に思いを馳せつつ、桜餅を二つたいらげたのだった。〈日暮れより春めいてゆく家路かな〉〈桜蕊降るやをさなの砂の城〉『ゐのこづち』(2008)所収。(土肥あき子)


May 2252009

 たべのこすパセリのあをき祭かな

                           木下夕爾

七の連体形「あをき」は下五の「祭かな」にかからずパセリの方を形容する。この手法を用いた文体はひとつの「鋳型」として今日的な流行のひとつとなっている。もちろんこの文体は昔からあったもので、虚子の「遠山に日の当りたる枯野かな」も一例。日の当たっているのは枯野ではなくて遠山である。独特の手法だが、これも先人の誰かがこの形式に取り入れたものだろう。こういうかたちが流行っているのは花鳥諷詠全盛の中でのバリエーションを個々の俳人が意図するからだろう。この手法を用いれば、掛かるようにみせて掛からない「違和感」やその逆に、連体形がそのまま下五に掛かる「正攻法」も含めて手持ちの「球種」が豊富になる。今を旬の俳人たちの中でも岸本尚毅「桜餅置けばなくなる屏風かな」、大木あまり「単帯ゆるんできたる夜潮かな」、石田郷子「音ひとつ立ててをりたる泉かな」らは、この手法を自己の作風の特徴のひとつとしている。夕爾は1965年50歳で早世。皿の上のパセリの青を起点に祭の賑わいが拡がる。映像的な作品である。『木下夕爾の俳句』(1991)所収。(今井 聖)


March 2532010

 犬の途中自分の途中花ふぶく

                           渋川京子

年この時期になるとどこの花を見に行こうか心が浮き立つ。うららかな空に満開の桜を仰ぐも束の間、強い風に舞っていっせいに桜が散る。あ、もったいないと思いつつ向かい風に花ふぶきを受けながら歩く豪華さはこの季節ならではのもの。この「途中」はいま花吹雪に向かって歩いている犬と自分の状態とともに、おおげさに考えるなら人生の途上ともとれるだろう。数十年生きてきた大人も生まれたての赤ちゃんも誰もが「いま」は人生の途中。隣にならんでいる犬だって、犬として生きている途中であることに変わりはない。いっせいに桜が舞う瞬間、犬とわたしの時間が交差する。犬がわたしであり、わたしが犬であるような親近感とともに何かに誘われて犬とともにここにある偶然の大きさを感じさせる句でもある。てくてくと行きつく先はどこなのかわからないけど、今ここで犬とともに受ける花吹雪がまぶしい。「眼鏡拭く引鳥千羽投影し」「さくら餅たちまち人に戻りけり」『レモンの種』(2010)所収。(三宅やよい)


April 2142013

 孫と居て口数多し葱坊主

                           春藤セイコ

しぶりに、帰省した孫に会いました。うれしい気持ちで、おのずと口が動きます。葱坊主は晩春の季語です。てっぺんに白い小さな無数の花が集まって、球状に見えるかわいらしい姿に、孫を重ねているのかもしれません。句集では、掲句の前に「茶を啜るジーパンの膝に桜餅」があり、祖母は孫に東京の学生生活のことなどを尋ね、孫は桜餅を食べ茶をすすりながらこたえている、そんなゆったりした時間が流れています。作者は、明治四十年に徳島で生まれ、同県小松島で活躍した俳人。孫を詠んだ句はほかに「帰省の子万年床に陽は高し」。祖母の目から見る孫は、いつまでも葱坊主であり、それでいてジーパンをはく現代青年であり、祖母は、お天道様のように万年床に惰眠を貪る姿を見守る存在です。なお句集には、「亡き夫の五十回忌や吾が遅日」「懐手父懐かしく夫恋し」があり、早くに夫と死別していることがわかります。また、「親の墓子の墓参り日暮れけり」からは、子とも死別していることがわかります。亡き人は帰りません。しかし、掲句には、その孫が子が帰省して目の前にいます。口もとは、おのずとゆるむでしょう。『梅の花』(1997)所収。(小笠原高志)




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